
矢田屋の引札
(引札とは現在でいうチラシ広告)
明治の頃の柴山潟は、瓢湖ともいわれ、現在の三倍の面積を誇る湖で、たびたび水位が上昇し、水害が発生しました。
そして、開湯20年目の明治29年、片山津は水害に見舞われ、温泉地は壊滅的な被害を受けてしまったのです。
その後、水も引き、地域再興のため、同年、月津村に住む初代矢田松太郎が、被災した旅館を買い取り「矢田屋」を創業。同年、北陸本線が開通し、動橋に停車場が設けられ、本格的な温泉街発展の礎となりました。
以来、百有余年。軍施設への転用や温泉街の大火災を乗り越え、その間、皇室や数々の文人墨客の逗留を数え、「片山津の歴史は矢田屋の歴史」とも称されることを誇りに、現代まで多くのお客様の湯治の宿として栄を賜っております。
今後も老舗としての伝統を守り、時代ごとに新しい感性を加えながら、新たな一歩を記して参りたいと存じます。